- 敦煌観光にお役立つ情報
- ・敦煌の観光案内
- ・敦煌の観光地図
- ・敦煌へのアクセス
- ・嘉峪関の観光案内
- ・張掖の観光案内
- ・シルクロード観光案内
- ・シルクロード観光地図
- 敦煌観光見所案内
- < 敦煌市内&周辺 >
- ・莫高窟(ばっこうくつ) < 世界遺産 >
- ・鳴沙山(めいさざん)
- ・月牙泉(げつがせん)
- ・玉門関(ぎょくもんかん)< 世界遺産 >
- ・陽関(ようかん)
- ・漢の長城遺跡
- ・河倉城(かそうじょう)
- ・敦煌博物館
- ・雅丹魔鬼城(ヤルタン)
- ・西千仏洞(にし‐せんぶつどう)
- ・楡林窟(ゆりんくつ)
- ・シルクロードの花吹雪ショー
- < 嘉峪関(かよくかん) >
- ・嘉峪関長城(かよくかん‐ちょうじょう)
- ・魏晋壁画墓(ぎしんへきがぼ)
- ・懸壁長城(けんべきちょうじょう)
- ・万里の長城第一トン
- < 張掖(ちょうえき) >
- ・張掖 七彩丹霞(しちさいたんか)
- ・張掖 氷溝丹霞(ひょうこうたんか)
- ・張掖 馬蹄寺(ばていじ)
- ・張掖 大仏寺(だいぶつじ)
玉門関 敦煌
- 敦煌の玉門関は小方盤城と俗称される。モンゴル語で「デレバンジン」と言い、四角い城と言う意味である。敦煌市の西北におよそ90キロメートル離れている。聞かれたところによると昔西域の和田などの美玉はタリム盆地からここを通って中原に輸入されたのであり、玉門間はそのため名を得た。
- 玉門関は前漢の時に玉門尉の管轄地域であった。王莽が君位を奪い取った後に程なくこの関所はかつて一度閉じられたことがあり、「シルクロード」はそのため中断した。班超が西域を経営した後にシルクロードは通じたが、後漢の建武時代から延光時代までの百数年間の間、中国と西洋の交通要路としてシルクロードはかつて「三通三絶」であった。
- 2014年、「シルクロード」として、世界文化遺産に登録された。
想像図